【富加接骨院の院長×クマ一号】森本晃成

富加接骨院・院長 森本

クマのような大柄。でも心は繊細

富加接骨院 院長 森本

クマのような大柄な院長「森本晃成」です。本日は、富加接骨院にお越しいただきありがとうございます。さらに、こんな私ごとのプロフィールに興味をお持ちくださり、感謝感激です! まずは、この場をお借りしてお礼を申し上げます。

現在、お体に何かしらの不自由を感じられているかと思います。肩の痛みでしょうか? ぎっくり腰でしょうか? 私は、特に「急性のケガ(ぎっくりなど)」の施術に大きな自信があります。もちろん、それ以外の「体のお悩み」にも対応できますので、お気軽にご相談ください。きっと、今よりも「楽な生活」を送っていただけると思います。

しかし、中には、次のような気持ちからプロフィールページをご覧になっている方もいらっしゃるのではないでしょうか?

「本当に接骨院としての腕は確かなの?」

「あなたの人間性をもっと知りたい」

そこで、ここでは、私の人生観、趣味、価値観、接骨院の開業に至った理由、院長である私の経緯などをご紹介したいと思います。これをきっかけに、少しでも皆さんとの距離を縮められたらうれしいです!

1992年・岐阜県に生まれる。名前は「あきなり」ということもあり、小さいときから「あっくん」と呼ばれることが多かったです。当院を利用される皆様にも「あっくん」と呼ばれるほど、親近感をもっていただける存在になれたら嬉しいです。ちなみに、現在、生涯のパートナーを募集中です!

クマ体型を活かした相撲を始める

小学生の頃、クマ体型を利用した「相撲」に参加。大きな体型が功を制し、なんと「国技館」で相撲したこともあります。その後、中学生の頃には、野球にはまり、岐阜県大会ではベスト8。高校では、ラグビー部に所属、なんと「花園」に出場しました!…………………と言いたい所ですが、人生はそんなにうまくいかず、途中でラグビーをやめることになります。

ラグビーの挫折と早川院長との出会い。

高校時代は、ラグビーに所属をしていました。早朝からの猛特訓。授業後の練習。土日祝日関わらず、ラグビーに明け暮れていました。練習による疲労から授業中に寝てしまうこともしばしば。よく先生に怒られていたのを覚えています。そんなラグビーに明け暮れる中、とある事故が起きます。練習中、相手選手と勢いよくぶつかったときに「足首」を故障。その場で歩くのも辛い状態になってしまいました。そんなとき、私を助けてくれたのが早川先生でした。

当時、先生は、ラグビー部をサポートするため、私たちの練習や試合に同行されることが多かったです。私の急性のケガも、この早川先生による適切な施術により何とか助けられました。おそらく、当時、早川先生の適切な施術を受けていないければ、今では、日常生活ですら難しい状態になっていたと思います。まさに不幸中の幸いです。また、このケガがきっかけとなり「私も早川先生のように施術で人を助けられるようになりたい」と考えるようになりました。

柔道整復師になることを決める。

高校時代、ラグビー部で大けがを負ったことを経験から「接骨院」で働くことを決意しました。接骨院で働くには「柔道整復師(じゅうどうせいふくし)」という国家資格が必要です。まずは、これを取得するため、岐阜市の「岐阜保健短期医療専門学校学校」に進学。ここで約3年間、柔道整復学や解剖学、生理学など柔道整復師に必要なことを学びました。無事に学校を卒業後、「柔道整復師」の資格を取得しました。

早川接骨院での10年の下積み

「柔道整復師」の資格を取っても、接骨院で働くための最低限の資格を満たしたにすぎません。そこで、実務を通して施術のスキルを学ぶため、関市にある早川接骨院に勤務することにしました。最初はシップを貼る。包帯巻きなどの基本的な業務から初めて、徐々に難易度が高い施術の経験を積ませていただきました。早川先生の下で勤務を続ける中、めいほうスキー場にもボランティアで骨折、脱臼のパトロールに行ったりもしました。

骨折、脱臼をした直後の患者さんは、患部を触ろうとすると喚いたり、悲鳴を上げることが多いです。しかし、整復と固定が終わると「楽になった、助かりました」というお言葉から、一安心されている様子を感じ取れます。まさに、これが接骨院としてのやりがいです。

その後、さらに経験を積み重ねて、退職する直前までは、副院長として勤務をしていました。当時を振り返ると、それなりのポストで仕事ができていたので、特に不満はありませんでした。しかし、この先の自分自身の人生を考えたとき….

「私の力でもっと多くの人に楽になっていただきたい」
「森本晃成の接骨院」として社会に貢献したい」

と考えるようになりました。もちろん、接骨業として20年、30年も働いている諸先輩方に比べれば、まだまだ未熟な部分があるのは確か。でも、10年間も接骨の道、一筋に歩んできた。どんなケガにも対処できるようになった自信があるのも事実です。そんな葛藤の中、ずっとお世話になっていた早川先生の後押しにより、ついに独立することを決意。「富加接骨院」とし開業する運びとなりました。

開業を決意

テレビ、ラジオ、書籍など、健康系の情報や商品はたくさんあるはずなのに、中々、悩みから解放されない方は多いです。スーパーなどに行けば…..

  • 必要以上に腰を丸めているおばあちゃん。
  • 足を引きづっているおじいちゃん。
  • 肩をさすりながら首をぐるぐると回すサラリーマン

など、世代や性別に関わらず、どこかに不調を感じている方をよく見ます。

思わず「これだけたくさんの情報が出ているのに…なぜ?」と感じてしまいます。実は、私もこの問いに関する明確な答えはわかりません。ただ、少なくても、私を頼りにしてくださる方には、私に出会う前によりも「快適な生活」を送っていただきたいと考えています。日常生活で痛くなる膝。全く動けない急性の症状など、上がらない肩など、抱えられている悩みは様々です。それら個々人に合わせて適切な施術を心がけています。

高校当時、ラグビーによるケガから解放されたときのように、皆さんにも「楽になっていただきたい!」これが私が接骨院を運営しようと考えた究極の理由です。むしろ、これ以外の理由はございません。もちろん、この文章だけ「私を信じてください!」とは言いません。ぜひ、当院へお越しいただき、皆様の目と感覚で私をご判断されると良いと思います。

富加接骨院にて、皆様にお会いできることを楽しみにしています!長屋クマと一緒に、愛される接骨院を目指してまいります!

2020年6月22日

富加接骨院・院長

森本晃成


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